≪有明海問題の江刺名誉教授の著書の序論≫

江刺名誉教授の著書

 <序>

 筑後川という大河に代表される多くの河川によって運び込まれた「のろ」と呼ばれる泥土の堆積によって形作られた遠浅の海、それが右ページに図示された有明海である。この海は壮大な千満の差が 見せる独特の景観、特にムツゴロウの滑稽な動作によって多くの人々を魅了して来た。と同時にその特異な海域は固有の魚貝類を育み、有明海は″宝の海”であった。しかし有明海はここ十数年前から 病み始め、死の海への道を進んでいる。
 しかし、私はこの有明海に何の関係もなければ、水産学者やノリ養殖の専門家でも生態学者でもない。それなのに私がなにゆえ有明海の自然の荒廃を黙視できなかったのか、それを先ず話さねばなるまい。

 旗を掲げた数多くの漁船から「諌早干拓反対」を叫んでいるノリ養殖漁民の姿をテレビで見た時、自然界での物質循環の原動力が太陽光であり、有明海全体での諌早干拓地の受光面積が二%前後  。 にしかならぬのに、いかに干潟の浄化能力が大きいからとはいえ、二%が残りの九八%の海洋環境の汚染源であると決め付けることには、素朴な疑念を抱かざるを得なかった。何かしら、人為的な裏の 存在を暗示させる一方で、「有明海固有の希少生物が絶滅の危機に瀕している」というあってはならない報道にも接した。

 生命科学者としてかつて国連を舞台に「生物多様性保全条約」の起草に関わった 私は、理解しがたいが放置できない問題として、この「有明海問題」に強く引き付けられたのである。
 私は、東北大学在職中に国連のFAO(食糧農業機関)から、アジア地区先進国代表のコンサルタントとして直接招致され、ブラジルのリオデジャネイロで開催された第一回地球サミット(一九九二 年)において「生物多様性保全条約」の一部の起草に関わった。当時、やがて到来する二一世紀に抱えるであろう地球環境問題は、国連自体だけでは処理し切れないほど大きく重大な問題であるとの認 識があった。FAOもUNEP(国連環境計画)、UNESCO(国連教育科学文化機関)と協同して合議を重ね、国連の手に余るほど肥大化し、かつ差し迫った地球環境問題を手分けして、他の国際機 関の助けをお借りつつ諸問題を順次国際社会に提起していたのである。このように、各国政府の協力を得ること無くしては、人類が直面するこれらの大問題を解決できるものではないとの認識から始まっ た会議が、第一回地球サミットであった。

 日本も「生物多様性保全条約」を批准し、第一回地球サミットで提起された諸問題の解決進捗状態を査証すると共に、新たに深刻化し始めた地球レベルでの諸問題に対して国際社会が協力して、その 解決に向かうべく昨年(二〇〇二年)南アのヨハネスブルグで第二回地球サミットが開催された。そこには多くの日本のNGO、NPOの民間人だけでなく小泉首相も出席し、日本としてもあらためて 明日の地球号保全のための約束をして来たはずである。

 かつて日本は、佐渡や能登半島の一部にのみ棲息するまでその数を減らしてしまった美しいトキを、戦後になって特別天然記念物としてその保護 に努めた。だが時はすでに遅く、今や野生のトキは絶滅し、佐渡での特別な飼育施設で中国から送られたトキとの間に子孫を遺し増やそうと必死の努力を重ね、なんとか明るい見通しが立って来たとこ ろである。

 しかし今度は、有明海で多くの希少生物が絶滅の危機に瀕していることを訴える市民団体の叫びや環境省からのニュースが聞こえるようになって来た。これらの報道は、「生物多様性保全条 約」の起草に関わった私に、有明海の自然復元に対する科学者としての責任感を呼び覚まし、いずれは有明海の荒廃の問題を私なりに本格的に調査せねばならないことを考えさせる最初の切っかけとなっ たのである。

 そんな矢先、私が新幹線通勤のさいに購読する習慣にしていた『日本経済新聞』夕刊の一面で、長崎県の、救いと理解を訴える広告に出会うことになった。希少生物の絶滅に何とか歯止めをかけねば と思っていた私は、あらゆるマスメディアや、薬害エイズ問題の解決に功績を上げた党首の政党さえもが、真実を調査した様子もなく一方的にノリ養殖者の立場に立って、公共投資の代表的悪例として 諌早干拓をつるし上げる姿勢に違和感を持っていた。それだけに、長崎県が全国民に対して理解を訴えるその全面広告(図1、二〇〇一年三月二六日号)にもまたショックを受けた。仙台市に生まれて、 津波の度に高潮の大被害を蒙る三陸海岸沿いの住民の惨状を知っている私には、長崎県の訴えには同情の余地かあると感じられた。その広告はまた、諌早干拓を一概に公共投資の悪例とする各種行動や 漁民の行動の正当性にさらなる疑念を抱かせて、一人の専門的科学者としての視点から有明海の自然環境荒廃の原因探求の再検証に立ち上がる、直接的かつ最終的な端緒となったのである。

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海洋汚染を考える会